Sub menu


about me

私について

何も考えずに大学を出て、あまり考えずにペット用品の商社に入社(動物好きだったので)。
栃木、埼玉と生まれて初めて見知らぬ土地で生活。仕事はそれなりに楽しかったが、新潟転勤を通達されたのを契機に退職。
地元に帰って数カ月ぶらぶらしていましたが、もともと絵を描いたり、物を作ったりするのが好きだったので、 少しでもそれに近い仕事をしたいと思い、「広告資材の総合商社」である今の会社に入社。
初めは看板屋さんに向けて、カッティングマシンのシステムの営業とサポートを担当していました。
看板なんてペンキと刷毛で書くものと思っていた私は、始めてみるカッティングマシンの精密な動きに物凄い感動したのを覚えています。

同時に会社では看板屋さんからの外注で、カッティングシート文字の作成も行っていましたが、物作りが好きな私は頼まれてもいないのに、 勝手にそちらの仕事を手伝っていました。
ちょうど私が入社した頃から、大型のインクジェットプリンタが出回り始め、そちらの営業も担当しましたが、 まだまだパソコンやプリンタ本体のスペック不足で、1u出力するのにヘタすると2〜3時間かかったものです。
プリンタもやはり外注の仕事をたくさんやりましたが、なんせ時間のかかる仕事だったので、良く徹夜で作業したものです。

そんなこんなで外注仕事も増えてきたので、では本格的に製作の部門を作ろうと言うことになり、ここぞとばかりに立候補
それから数年は、もう「看板屋さん」として、デザイン、看板製作、看板施工と走り回ってきました。

昨年体を壊して現場からは引退してしまい、現在は社内で事務職を行っています。
一日中座っているような仕事は生涯初めてですが、なんとかかんとか日々を過ごしています。


about sign maker

看板業界について

前述しましたように、ちょうど私がこの業界に足を踏み入れた頃から看板業界の急速なマシン化が進みました。
パソコン自体もウィンドウズ95が発売され、爆発的な売れ行きを見せた頃です。
私がカッティングマシンのシステムを販売していた頃は、専用ソフトがあるのが一般的で、ソフトのみで100万円位でした。
今では看板屋さんもイラストレータを使い、特別なソフトがなくてもカッティングマシンを使っています。

それ以上に進歩したのがインクジェットプリンタですね。
ハード面の進歩と共に、インクやメディアもかなりの種類が出回っています。
看板屋さんの仕事自体も、カッティングシートからインクジェットプリンタへとシフトチェンジが進んでいます。

その他の商材でも、LEDがネオンサインにとって代わり、さらに内照式看板の光源としても用いられるようになりました。
大型の内照式看板の板面はアクリルからフレキシブルフェイスに、看板枠は木材からアルミに、カッティングシートも非塩ビの商品が出たりと、 エコロージー問題にも対応してきています。
また、フルカラーLEDのデジタルサイネージも規模、台数とも拡大してきています。
私たちの扱う商材も、メーカーから次々と発表、発売される商品に遅れることなく対応し、看板製作業者にタイムロスなくお知らせできるよう、日々営業マンが走り回っています。